好きであることのアイデンティティ
勉強もできず運動もできず
さしたる取り柄のない子どもがそのまま歳を食った感じの人間なんだけど、
最近ちょっと感じたことがあり!
前述の通り、
勉強も運動も無く学歴や大した資格や肩書きの一つもない情けない大人ではあるんだけど
好きなことをやった結果が「好きである」ということの証明になってて
それが結構自分のアイデンティティを支えてるのかもしれないと思った
服が好きで作ることが好き
→大学を編入して
歌が好き
→軽音入りカラオケバイトして曲出して
おもしれー奴でありたい
みたいな
社会から見れば個々人が好きなことをしただけだけの大した話ではないのかもしれないし
ここに価値を感じてくれる人は少ないかもしれないけど
少なくともわたしが「わたし」の説明をするときにこれらは重要なパーツで
空っぽな自分が唯一「好き」であることたちの確固たる裏打ちになってる
これって多かれ少なかれみんなあるんだろうけど
結構すごいことなんじゃないか?????????
かなり恵まれた話な気がしており
ここに残しておきます
ありがとう